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『運命』は決まっているか?

すべては必然・・・ではないということ



理性、理論、2元性、善悪、光と闇、必然、相対性の世界、、、

チベット仏教の講座で、『真理』とは何か? という難しいことを学びました。

1真理はある (小乗)

2真理はない (大乗)

3真理は<ない>でも<ある>でもない (密教)

4真理は<<ない>でも<ある>でもない>でもない (ゾクチェン)

4番目のゾクチェンは最上級クラスの教えとされています。

真理は<<ない>でも<ある>でもない> ということは、言葉で聞いても、一体どういうことか分かりません。ここが、仏教の奥義とされているものなのです。

が、そこのところが、たとえば一休さんのように、一般人には訳の分からない、狂人のように思えるというような難しさがあります。<常識>を超えた叡智。チベットでは狂人の叡智と呼んでいます。

もちろん、4レベルに至る前に、みっちり、1、2、3、の修行をするのです。
そして最後に、弟子は、師匠から聞かれます。
師「あなたのマスターはどこにいるか?」
弟子「それはあなたです」
師「いや、マスターはここにいる」と言って、弟子のハートを指す。


「悟りとは何か?」とある弟子が問う、とします。
レベル4の師は、何と答えるでしょうか?

あるいは「アセンションとは?」でもいいですね。

その本当の答えは、自分の心の中にあるのでしょう。

だから、ここのスペースで、ああだの、こうだの、と理屈を言っても、情報を拡散しても、無駄なことかもしれません。

ただ、ここ地球のレベルは、3次元であるということをしっかり認識して、そこを卒業する、という意識に至ることが重要だと思います。

2001年に、パドマサンババというチベットの菩薩神に、友人のチャネルから聞きました。
私「ラマ(師)に、今までのように手紙を書いて自分の状況を知らせる必要がありますか?」
(返事は来ないが、次の講話のときに、必ず、答えをもらえたから)

パドマ「あなたがラマにハート開くために書くのなら、続けなさい。しかし、何かをラマに知らせようとするのであれば、要注意です。私たちはあなたの質問に答えるために、これからもチャネラーを通じて、あなたに答えましょう。あなたを守りましょう。でも、一つ、重要なことがあります。マスターは世界で唯一人。それは、あなたです」

師がいなくては、前に進めないと思っていた私は、徹底的に打ちのめされました。
そして、3日間、泣いていました。
『こんな情けない自分がマスターだなんて、、
明日から、どうしょう、、、』と。

そして、私は、自分が師である、ということを受け入れられなくて、再度、仏教センターに戻り、お説教に通いました。

それでも、他の友人のチャネルから、呼び戻され、自宅で瞑想の修行をさせられました。
悟ったかって?
とんでもない! まだ全く、どうってことない普通の生活者です。

一つ、変わったかな、って思うことは、思い通りにいかなくても、受け入れられるようになったことかな。小さなことと、大きなことの差があまり無くなったこと。嫌いなことも、うまくアレンジできるようになった。不器用な自分、駄目な自分を愛せるようになった(可愛いもんだ、とかいって)。

『本当のこと』が相手に伝わらなくても、怒ったり、気落ちしたり、悲しくなったりしなくなった。
『伝えること』と『伝わること』は同じではないから、自分のした努力を讃えることができる。
『伝わらない』人には、無理して伝える必要がないこと。
その人の限界と、その理由、背景を『理解できる』ことが、一番深いワークであること。
『分かったこと』がどこまで当たっているか、その人、物事を観察しつづけること。
その人が苦しみから脱出できるように、祈ること。
誤解があったら、いつか、その誤解は解けるときが来ることを信じること。

そして、相手の悲しみや苦しみを、一緒に分かち合ってあげること。
共感すること。決して、ジャッジしないこと。
理論で、相手の問題を括らないこと。


分かっちゃいるけど、つい、口に出ちゃう「あなたって、●●ね〜。こう◯◯しなきゃ駄目よ〜」を卒業しなきゃ〜〜〜


<神の真理>って理屈では語れない、って分かっていても、つい、語りたくなってしまう人、いますか?

たまたま、行ったサイトで、たまたま開いたトピに、この理論と理論を超える第4レベルの教え(?)がありました。長いけど、あっと言う間に読めますよ。
「全知全能の神」という存在への答えがあるかも知れません。
(いえ、失礼しました。答えは、それぞれ自分の中にありましたね。これ、難題だ〜)



飯田史彦氏の著書『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』を推薦する投稿から
サイト/大摩邇(おおまに)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1697194.html



・・・<『ツインソウル 死にゆく私が体験した奇跡』、p106~p127から抜粋開始>・・・

 <予定外の死>

 そこで、私は、どうしても知りたかった禁断の質問について、ついに、切り出してしまいました。

私「私はこれまで、著書において、『あらゆる死には理由があり、予定外の無駄な死など、あり得ない』と、書いてきました。しかし、長年続けてきたボランティア活動を通じて、実際に、世の中のさまざまな死を見ていると、どのように考えても、そのタイミングで、その環境や条件で、そのような原因で死ぬことに、プラスの意味など見出すことができないような、ひたすら空しい死に、数多く直面してきたのです。
 そこで、率直に、おうかがいします……本当に、『あらゆる死には理由があり、予定外の無駄な死など、あり得ない』と、断言してもかまわないのでしょうか?……それとも、現実には、『予定外に起きてしまった、意味のない無駄な死』という現象も、生じているのでしょうか?」

 すると、今度は、これまでとは違う光が、まぶしさを増しました。「その問いには、自分が答えましょう」という、合図のようなものでしょうか。その光は、ほのかな紅色をしているように、感じられました。
 私の印象では、「輝く光」たちには、それぞれ、担当分野のようなものがあるようでした。そして、ここで輝きを増したのは、どうやら、「死」についての試練を担当している光のようでした。

光「あなたの問いは、厳密に言うと、二つの疑問によって構成されています。ひとつは、『すべての死は、生まれる前から予定されていた、避けられない運命としての死なのか』、ということ。もうひとつは、『あらゆる死には、意味があるのか』ということですね?」

私「はい……二つの疑問を、ごちゃ混ぜにしてしまって、すみません」

光「謝ることはありませんよ……まず、お答えしやすい方……二つめの問いの方から、お教えしましょう。この問いについても、あなたの言い方そのものが、二種類の問いを混同してしまっていることに、お気づきでしょうか?」

私「?」

光「ひとつめの問いは、『あらゆる死には、もとから意味があるのか』というもの……もうひとつは、『あらゆる死には、あとから意味を見出すことができるのか』というものです」

私「なるほど、確かに、ニュアンスが違いますね」

光「ひとつめの問いに対しては、このようにお答えしましょう……『生まれる前から予定しておいた死には、そのすべてに、貴重な意味がある』と」

私「えっ!?……それでは、『生まれる前には予定していなかった、予定外の死』というものも、あり得るのですか?」

光「その問いには、のちほどお答えします。まずは、もうひとつの問い……『あらゆる死には、あとから意味を見出すことができるのか』という疑問について、『その通り』とお答えします。いかなる死であっても、残された者たちが、『その死を通じて何を学ぶか』という意識で接すれば、そこには必ず、さまざまな学びの機会、学びの種を、探し出すことができるからです。その意味で、『あらゆる死には、意味があるのか』という元の問いに戻るならば、『あらゆる死には、意味を見出すことができる』という言い方で、お答えしましょう」

私「しかし、私は現実に、長年のボランティア活動を通じて、肉親の、理解を超えるほど悲惨な死に直面したご家族に、何度も出逢ってきました。そのようなご家族に対して、『この死から大いに学びましょう!』とは、現実には、なかなか口に出せないものです。ご家族のお気持ちを思うと、あまりの辛さに、慰めの言葉も見つからないのです」

光「あなたの苦しみは、たいへんよくわかります。そのことについては、のちほど、大切なことをお教えしましょう」

私「それでは、その前に、最初の質問に、お答えいただけますか?……『すべての死は、生まれる前から予定されていた、避けられない運命としての死なのか』という疑問に……本当に、そう言い切っても、許されるのでしょうか?」

光「許されるかどうか、という問題ではありませんが、もしも、『許されるのか』と問われるならば、もちろん、許されます。あなたが、『死の悲しみにくれる多くの人々を救いたい』と願って口にする言葉であるかぎり、そのすべては許されるのです」

私「しかし、私は、本当の事実を知りたいのです」

光「宇宙の真理を知りたい、とおっしゃるのですね?」

私「もちろん、真理は人の数だけ存在するということは、私もよく知っています。人間社会では、その人が信じる信念こそが、その人にとっての真理なのです。だからこそ、たとえば、違う宗教を信じている人に尋ねると、異なる真理を語ってくれるわけです」

光「ならば、同様に、あなたが信じている信念こそが、あなたにとっての真理なのではありませんか?」

私「物質世界で生きる人間にとって、物質世界という制約の中で理解できる真理を問うならば、確かに、真理とは、そういうものでしょう。私も、人間社会で生きる普段の生活の中では、それ以上の真理を求めようなどと、不可能なことは欲しません。
 しかし、いま私は、こうして幸運にも、こちらの次元に『つながる』ことができているのです。それならば、この波調の高い光の次元でしか知り得ない、精神世界における真理というものを、なんとかして理解したいと願っているのです」

光「わかりました。いいでしょう」

私「教えてくだきるのですね?」

光「いえ、お教えするわけではありません。なぜなら、あなたは意識の下に封印しているだけで、すでに答えはご存知だからです。私たちは、あなたとの対話を通じて、『物質世界に住む人間の言葉を用いながら、こちらの真理をどれだけ正確に表現することができるのか』という、不可能に挑戦しようとしているにすぎません」

私「まさに、それが、私がこうして、この次元に戻ってきた理由だからですね?」

光「その通りです……しかし……」

私「しかし?」

光「しかし……本当は、あなたに、そのお答えを思い出させても良いものかどうか、私たちも、大いに迷っているのです」

私「えっ?」

光「あなたが、地上で、たいへんな努力をして使命を果たし、死に直面して悲しむ数多くの人々を救ってきたということ……そのことを、よく承知しているからこそ、私たちは、迷っているのです」

私「…………」

光「あなたの救済活動のエネルギー源が、『すべての死は、予定通りの順調な死である……だからこそ、悲しみにくれるのではなく、そこから大いに学びながら、明るく元気に生きていこう』という、たいへん前向きな信念であるということを、私たちは、よく理解できるからです」

私「……ということは、もしかして、その私の信念は、間違っていると?」

光「いえ、間違っているということではありません。そもそも、人を救うというあなたの使命の立場からは、あなたが抱いていらっしゃるような信念なしでは、その厳しい活動を積み重ねることはできないでしょう。あなたの厳しい使命を果たすためには、『その信念が現実なのか』ということよりも、『いかなる信念を持つことが、最も大きな効果を生み出すのか』という問題意識こそが、必要だからです」

私「…………」

光「その意味で、『すべての死は、予定通りの順調な死である……だからこそ、悲しみにくれるのではなく、そこから大いに学びながら、明るく元気に生きていこう』という、たいへん前向きな信念こそが、『人々を救済するための、確かな真理』であることは、間違いありません」

私「しかし、その私の信念は、『人々を救済するために効果的な真理』ではあっても、『精神世界における本当の真理』ではないのですね?……もしかして、『予定外の死』というものも、現実には、あり得るのですね?」

光「あなたは、ご自分の素晴らしい信念を、決して、曲げる必要はありません。あなたの使命を果たすためには、あなたの信念こそが、確かな真理なのです。そのことを明言し、お約束したうえで、次のようにお答えしましょう……」

私「…………」

光「魂たちは、物質世界で人間として生きる人生を、自分自身で計画したうえで、自分が選んだひとつの肉体に、つながっていきます。そして、その肉体と同化し、その肉体の脳を操作しながら、『人生という学びの機会』を過ごしていくのです」

私「そのことは、よくわかっています」

光「その人生を過ごす、物質世界という場所では、『時間』と『空間』という、精神世界には存在しない観念の中で、さまざまな特有の物理現象が生じるということは、おわかりですね?」

私「もちろんです……でも、その物質世界は、もともと、宇宙の本質であり正体である『精神宇宙』が、自らの成長をはかるために、創造したものですよね?」

光「その通りです」

私「それならば、物質世界、つまり『物質宇宙』の中で生じる物理現象など、その創造主である精神世界、つまり『精神宇宙』にとっては、すべてお見通しであって、あらゆる物理現象を、容易にコントロールできるはずではありませんか?」
光「…………」

私「私は宗教家ではありませんが、もしも宗教の概念を借りて、宇宙の正体である『精神宇宙』のことを『神』と呼ぶならば、神は全知全能であるはずですから、神にとって、『予定外のこと』など、生じるはずがないのではありませんか?」

光「…………」

私「それに、物質世界で起きる、あらゆる現象は、『直線的に進む時間』という観念の中で生じるものであるはずです……したがって、そのような時間の観念から解放されているはずの、精神世界に存在する魂たちからみると、物質世界で起きるすべての現象を、過去から未来にわたって、容易に把握できるはずではありませんか?
 それらを、すべて把握したうえで、魂たちは、『この時代の、この地域に生まれて成長する、この人物として人生を送りながら学んでみよう』と、自由自在に、『学びの教材』である人物を選ぶはずなんです。したがって、物質世界の未来までを見通せる立場にいるはずの魂たちにとって、『予定外のこと』など、起きるはずがないんですよ!」

光「そのような考察が、あなたの信念の根底にあることはく承知していますよ」

私「もちろん、生まれる前に行う人生設計では、自分の選択や言動によって、その後の人生が変わってくるような『分岐点』を、適切な数だけ、適切な場所に用意しておくわけですから、ある人物の人生というのは、分岐点の数だけ、いくつものパターンが考えられますよね?
 しかし、時間の観念のない精神世界からみると、そのすべてのパターンもお見通しのはずであって、『人生が、予定外の方向に行ってしまった』とか、『予定外に死んでしまった』などという、おかしなことにはならないはずなんですよ!」

光「…………」

私「その意味で、人生という学びの機会では、いかなる現象も、すべて『予定通りの順調な体験』なのではありませんか?……そうでなくて、『人生では、予定外の大きな悲劇も多々起きている』というのでは、生まれる前に人生設計する必要性そのものが、失われてしまうのではありませんか?」

光「…………」

私「だまっていないで、何か、おっしゃっていただけませんか?」


つづきは
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1697194.html

by lamteramoto | 2012-07-01 07:28 | Sagesse 叡智への道