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『気・愛のエネルギー』を探して (5)

10年前、西暦2000年という年は、大勢の方にも何かの変化があったのではないでしょうか?

フランスは年明けの数日前に、大きな嵐に襲われ大変な被害に見舞われました。私も明け方、恐ろしい風の音で目を覚ましました。あのような音は今まで聞いたことがありませんでした。

『愛エネルギーの旅』、この年から予想もしていない方向へと走り始めていたのですが、そんなこととは知らずに私は、無理をしてチベットセンターへ旅立った次男の心配をしながら年を越しました。鉄道がどこまで開通されたのかはっきりしていないにもかかわらず、息子は待ちきれずに出て行ってしまったのです。

お正月も、3日になってやっと外に出掛けられそうな空模様になりました。そこで一人、ぶらぶらと近所の散歩に出掛けることに。心の中に、タントラ・禅の師ダニエルからサポートされ、産声を上げた新しい自分がちょっぴり顔を覗かしていました。ダニエルは私がチベット仏教に傾倒していることを知ると「ああ、君はグル・リンポチェの彼女か」とからかいました。「まあね」と私も口調を合わせていました。そんなことを思い出しながら、散歩中ずっとチベットの神さまグル・リンポチェに語りかけていました。心の中でこうつぶやいていたのです。

「グル・リンポチェ、やっと準備が整いました。不調の波が鎮まり、他者のために役に立つ時が来たようです。どうか、私をお使い下さい」

そしてイタリア広場に来て、カフェに入りました。コーヒーを注文しながら、今度はダニエルのことを思いました。
「あの人は私にとってよい治療師だった・・」
そして治療師の女性形、ゲリスーズというフランス語が飛び込んで来たと思ったら、頭がくらくらして床に倒れてしまいそうになりました。驚きながらも自分を落ち着かせ、ゆっくり呼吸をしました。すると今度は涙があふれて来ました。何が何だか分かりません。とにかく『女治療師』という言葉がやけに懐かしいような、ずっと合いたかった人に合った時のような、そんな気分に襲われ泣きながらカフェを出て、それからずっと家まで泣いて帰りました。

訳が分からない初めて体験する心理現象でしたが、<女性ヒーラー>に鍵が隠されているという気がして、それに関するものをあちこち探しました。本棚を丁寧に見て行くとブレナン女史の『光の癒し手』という本が目を引きました。それは南仏の気功の学校の友人から勧められて購入し、分厚いフランス語の本など読む気にならず、そのまま放っておいたものでした。それから丁度一週間後に、若い日本女性の治療をはじめることになっていきます。

この時から奇妙な現象が私の気功教室を取り巻き始め、何人もの生徒たちが怪奇現象を体験することになりますが、私はいたって普通に何も見えず、何も聞こえず、と超能力ゼロの気功教師を続けていました。

裸で踊る奇妙な女性、黄金のブッダなどの幻覚、窓が閉まっているにも関わらず聞こえる風の音、人の気配と香り等々、不思議現象に包まれた生徒たちは、徐々に教室に来なくなりました。そしてしばらくすると新しい生徒の訪問。また彼女たちにも同じことが。

インドの僧院にいる若いシャンバラ宗派のラマからは、一向に質問の返事が届きません。どうしていいか分からないまま、ある日、男女の気配と素晴らしい香りかすると言う生徒と話している時に、初めて自分もこの香りを嗅ぐことができました。沖縄出身のその生徒さんから『神との対話』をプレゼントされ、それが初めて手にしたニューエイジの書籍でした。

正月休み、バリ島でのタントラ瞑想旅行から戻ったダニエルがうちに立ち寄ってくれたので、不思議な現象の話を少ししました。タントラ教では、神や天女菩薩などはいないということになっているらしい。それを知っていながら、それでも現象は現象として事実を伝えてたのですが‥。「グル・リンポチェなんて信者の想像の産物だよ」と冷たく言われそうな気がしたけれど、ダニエルは結局ノーコメントの立場を選んだようでした。

彼は又すぐにイタリアのセミナーに。しかし、戻った彼の口からは不思議な話を聞くことになりました。
「イタリアの生徒の一人がね、ボクのセミナーのあった夜に夢を見たって言うんだよ。彼の夢に出て来た人はグル・リンポチェで、なんだか急にその本をプレゼントしたくなったって、グル・リンポチェの本をもらっちゃったんだよ」
迷惑なのか、嬉しいのか分からない感じだったが、私にはこの夢、どこか響くものがあった。

その後、ダニエルのノルマンディの冬の合宿でも、窓が全て閉まっているにも関わらず、数人の生徒たちが風の音を聞いたということでした。

ダニエルは、キリスト教、ユダヤ教、仏教、密教などに登場する神や天使、菩薩などは存在しないといつも言っていました。特にチベット人から神のように慕われているグル・リンポチェ(インドではパドマサンババと呼ばれている)などは、笑ってしまう対象だったようです。しかし、彼も周りからじわじわ怪現象に攻められ始めたようでした。

タントラが私の探している『愛のエネルギー』かも知れない、とダニエルの瞑想会に参加して、探ろうと思っていたのですが、思いもよらない現象が私を取り囲んで、ついにグル・リンポチェから友人のアンテナを通して、私に伝言が降りるということに発展して行ったのです。



このつづきは表題を変えて、新しく書くことにしました。
しばらくお待ち下さい。

明日から、フランスの南に2〜3週間ほど、遅ればせながらバカンスに行って来ます。戻りましたら、続きをアップしますね。

心に沁み渡るような日本の秋の風景をイメージしなら

皆様、美しい季節をお過ごし下さい。

ソレ−ユらむ

写真:私の誕生日8月◯◯日にホームステイしている若い方からお花とケーキとカードを頂きました。
猫シズカも一緒に祝ってくれた、なんて。。
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by lamteramoto | 2010-09-14 05:41 | 過去の思い出

『気・愛のエネルギー』を探して (4)

ダニエルとの関係で、自分を大胆に押し出すことに成功します。
自粛する伝統のある日本人、しかも自己主張を誰よりも禁じられている女性という人間である私に、何故それが可能になったかと後で思うに、身体を大切に扱われたことが大きいと確信できました。

インドでは、生まれるとすぐ親や兄弟からマッサージを受けるそうです。そして身体を愛撫され、大切に扱われた子供は、はやく大人になれると信じられているそうです。

今になってしみじみ思うのです。瞑想の師でもある人から、身体をいたわられ、マッサージされたことから、私は自己開花への道をステップアップすることができたと。その当時は気づきませんでした。ダニエルに対し感謝の気持ちは薄かったと、白状します。己の肉体を尊重できなかったことから来る「自分自身への卑下、卑下している自分を愛してくれる人間をさらに卑下する」という回路の意識だったと思います。

誤解をされないように言いますが、私とダニエルの関係には性関係はゼロです。伝統的な修行のプロセスでは、弟子が修行を終了する別れの時に、師と弟子は身体ごと愛し合うらしい。それがタントラのクライマックスであり、終了点となるようです。ダニエルも例外なく、伝統的な筋書き通りに終了したのです。しかし、私と出会った当時彼自身は、インドの導師のようには弟子を導くことは出来ないと正直に言っていました。

性の問題は、今、世界中どこもとても深刻ではないでしょうか?
愛もエネルギー、性もエネルギー。
だとしたら、どこからどのように愛と性を実践したらいいのか? 
そのことを人類に明確に示せる人間はどこを探したらいいのでしょう?

ダニエルの瞑想の会で、私は大胆に自分を表現することができるようになりました。素直に、下手な遠慮をしずに。それは自分が存在することを全面的に許してもらっている、小さくても未熟でも世界から宇宙から愛されていると実感できるようになっていたのだと言えます。この感覚は、初めて出会ったチベットの高層、そして若いラマ、それからダニエルとの出会い、この教師たちの愛と慈悲によって感じることが出来るようになったと、今振り返りながら、しみじみ思います。特にダニエルは、母と父を合わせたような存在でした。私はこれらの師弟関係の中で、愛によってやっと生まれることができたと言えます。

母の愛は無償です。与えても見返りを求めません。
例え、子供がポンと飛び出して行っても、彼を引き止めたりしないのです。

私はダニエルを通して、生まれ変わりました。愛と自由を手に入れました。そして子供である私は、彼の手から巣立って行ったのですが、その別れは私の未熟さから引き起こりました。最後に出版した彼の本が、気にそぐわなかったのです。ダニエルはチベット仏教に切り込みを入れていました。

「瞑想会のスピーチで、全てを受け入れなさいと教えているにも関わらず、何故彼はチベット仏教を受け入れることは出来ないの!?」と、私は腹を立てました。そう言う自分だって、その彼を受け入れることは全くゼロだったんですね。もし、私があの時、彼を受け入れていたら、彼を超えることが出来た筈。でも出来なかった。彼の愛を受け、自由を勝ち得たにも関わらず、その後も再び、『愛のエネルギー』を探して修行の旅に出なければならなかった、と言う訳です。

つづく

写真:パリのメトロ
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by lamteramoto | 2010-09-13 07:14 | 過去の思い出

『気・愛のエネルギー』を探して (3)

単刀直入、怖さ知らずなチベットラマの指導で、私の変容はどんどん進みました。
内的外的要因の様々な波を乗り越え、偽我といわれるエゴのごまかしを、自ら察知し、落とし、奥に控えている自己の発見へと進んで行きました。そのプロセスで誰でも必ず出会わなければならない自分への思い込みを、一つ一つ剥がして行き、最後には自分で思う程悲惨ではないことに気づき、自分自身を評価できる地点までこぎ着けそうでした。

ある日、ひょんなことでまたある人に出会いました。その人は、古い時代のインドの教えで、世界からはすでに失われたと思われている、女導師がマンツーマンで男性を悟りに導くという『古代タントラ』の修行者でした。

ダニエルというスイス男性と、その女導師のヒマラヤでの師弟物語を読み、私が探す『愛のエネルギー』はこれかも知れないと、彼の本を貪り読みました。

ダニエルは60年代にインドに渡り、初めチベットのある高層に教えを請いました。それからその師匠の勧めで、ヒマラヤのタントラの女導師を探しに出掛けます。あちこち探してついに、一人洞窟に住む女性を見つけます。初めての面会では、あっさり追い返されたそうです。インテリで傲慢な西洋人などの来るところではない、とケンモホロロに受け付けてもらえなかったということでした。

しかし、彼も根性で頼みに頼んでやっとOKが下り、ヒマラヤの山中での修行を始めます。山あり、谷あり、恐怖あり、愛あり。なかなか美しい物語、実話です。

*ご興味ある方は、<Tantra , L'initiation d'un occidental à l'amour absolu Daniel Odier >で検索して下さい。フランス語ですが、英語が出ている可能性もあります。

私の旅、今度はちょっと危なっかしい、タントラという新しい冒険に踏み出すことになって行きました。そして、ここでも何故か目をかけられてしまいます。ダニエルはイタリア人の奥さんと、パリとノルマンディーで瞑想センターを開いていました。

私の心にふって湧いた『愛のエネルギー』という言葉を追って、執拗に旅を続ける私は、ダニエルのメディテーション・チャン(中国語:座禅)に招待され、それと平行して彼とタントラ・マッサージと私の愛用する温灸の交換をするに至ります。

ラマとの伝統的な師弟関係から打って変わり、肉体と精神、愛と情、慈悲と情熱が入り乱れ過ぎているかのような危険な体験へ、大胆に踏み出していました。

つづく

写真:ベルビル公園
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by lamteramoto | 2010-09-13 06:10 | 過去の思い出

『気・愛のエネルギー』を探して (2)

シャンバラ宗派の若い師匠と、私の『愛エネルギー探し』は始まりました。

1998年にパリで始まったG・ジグメ・リンポチェのグループは、次の年にすでに夏の合宿が行われました。ある午後、初めての野外でのティーチング。皆半分バカンス気分で集まっていました。そして私たちを眺めながら、師は「誰かフラメンコを踊れる人はいないか?」と聞きました。一人の友人が「ミチコが踊れる」と答えたのでたまりません。

「ミチコ、フラメンコを踊って下さい」と、ラマはニコニコして仰る。不意をつかれびっくりした私は「瞑想の時間にフラメンコは適しません」と答えました。すると「心配はいらない。小川がすぐ横にあるから、火はすぐ消せる」

若いからと言って、チベットのラマという方々を軽く見てはいけません。彼らは賢い人達なのです。フラメンコのプロだった私はダンスのための状況を把握します。ギタリストも歌い手もなし。ドレスもなければ、パンタロンの上に撒けば最低格好がつくショールさえもない。ススッピンでしかも、素顔はださい日本人の顔。自分がいかに悪いコンディションで踊らなければならないか、一瞬にしてさとり、師の罠に自らかかることにするか否かに迷っていると、一人の女性が、自分はスペイン人でフラメンコの唄が歌える、と発言する。え〜〜、そんな〜、嘘でしょう?! 逃げられる扉が全て塞がれてしまったような状況になってしまいました。

覚悟を決めた私は踊ることをOK。そしてスペインから来た生徒は歌い始めた。それはセビリア−ナスだった。これは自分がもっとも踊ることを避けていたダンスでした。純ジプシーのダンスが好きなフラメンコ人はセビリアのスペイン祭りの唄では踊らない時代でした。それでも引き受けた以上踊らなければならない。しかも、教師、ラマのすぐ前で。

私には強みがあった。それはかけ声が誰よりもスペイン人、いえジプシーのようだと言われていた。それでまず、オーレー!!のかけ声で、自分を勇気づけた。そして踊った。

ラマは、私の白いパンタロンと端切れで作ったような雑巾に傾いたシャツ姿で踊る私のフラメンコに、お腹を抱えて笑っていた。その日から私は、彼にもっとも愛される生徒になったと言っても過言ではない。

「師に愛される」ということは「もっとも厳しく監視される」ということであり、他の生徒の「見本として晒されている」という意味も含んでいるのです。師の愛は、学びが進めが進むほど、厳しく、生徒にとって時には『愛』という言葉がひっくり返るように辛く感じることが通常です。それを徐々に、味わって行くことになるのですが、私たちは初め、師弟関係をロマンチックな気分で始めるのです。

ラマの愛を独り占めにしたと思った生徒は、強烈な失恋を味わい、それでも生徒は師の言葉に耳と心を傾け続けると、ある日、師は生徒に告げるのです。「あなたの本当のラマは、あなた自身なのです」と。

師は私にフラメンコを踊らせました。何故かというと、生徒である私をテストしたのです。初めての出会いの日、私は若いチベット人に聞きました。
「私は気功を習いました。そこで質問ですが、気功のエネルギーと仏教のエネルギーと何処が違うのですか?」
ラマ:「気功の気は身体のエネルギー。仏教の気は、精神のエネルギー。その二つを合流させると良い。」
私:「どのように合流させるのですか?」
ラマちょっと間を置いてから「次回、それをマンツーマンで伝授しましょう」
私嬉しさの余りつい口走って:「ワタシ、以前スペインのダンスをしていたんです」

もちろん、ラマはこの伝授のために私を呼びませんでした。
7年、このグループでラマの説教を聞きに行きましたが、たった一度も呼んもらえなかったんです。

しかし、この若いラマは私を変容させて行きました。

つづく

写真:パリ・ベルビル公園
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by lamteramoto | 2010-09-13 04:02 | 過去の思い出

『気・愛のエネルギー』を探して (1)

心の中にふっと湧いたメッセージのようなもの。
そんな体験は誰にも一度はあることでしょう。
私のそれは、1995年の夏に起こりました。
初めて出会った<凄い人>、生まれて初めて体中が反応した出会いでした。
その人は80才に近いおじいさん。チベットのラマでした。
ところはフランスの南、ボルドーから2時間、内陸に入ったドルドーニュという洞窟の多い、自然が豊かな地方でした。

そのおじいさんのお説教を聞くために、友人との旅行の約束をキャンセルして、チベットセンターの滞在を延ばすことにしました。すでにベッドルームは満員で空きがなく、ここに居残るためには、キャンプするしか方法はありません。しかし、テントは友人の物で、次の予定地にいくためにもう車の中でした。彼女は私から約束をキャンセルされてご機嫌斜め。それでも私の体の反応は、「何が何でもおじいさんの説教を聞きなさい!」と。

何かいい方法はないかと、思案しながら、センターの周辺を歩いた時でした。小道の先の方に、何やらテントらしいものが落ちていました。拾ってみると正にそれは一人用のテントではありませんか。しかも一カ所少し破れただけのまだ新しいモノでした。飛び上がらんばかりに、早速、センターから針と糸をもらって、テントを修繕して、静かな場所を選んで、テントを立てたのでした。

その人はゲンジュン・リンポチェと呼ばれている大勢の弟子を抱えたチベット密教の高層でした。写真ではすでにその人のお顔は拝見していて、こんな立派な人間がこの汚れ切った世の中に存在しているのか‥と、深い喜びと驚きに心動かされました。そして偶然にも友人からの誘いで、夏の休暇はこのラマのチベットセンターに決定しました。とは言え、友人の都合で、ラマの説教を聴く予定は組めなかった。

友人を裏切るのは、心が痛んだけれど、このような事態に見舞われるのは10年に一度もない、いや一生に数回に違いないと思われ、彼女には心で何度も謝りました。

それほどにこの人は、私を根こそぎ揺すぶったのです。初めてのチベット高層のお話は、シンプルでした。当時の私のフランス語能力でも半分以上理解可能だったくらいでした。

その話の途中でした。心の中なのか頭の中なのか分かりませんが、ある言葉がふっと湧いて来ました。その言葉は

「あなたが長年探って来た『気(エネルギー)』とは、『愛』のエネルギーです」というものでした。

当時私は、南仏の気功研究所で学んだ『気の理論』を、もう少し明確に掴みたいと望んでいました。この『愛のエネルギー』という発想はかなり私を驚かせました。どこから聞こえて来たのかと、その辺をきょろきょろ見回したりしました。前方には相変わらず、輝かしいチベットのおじいさんが、チベット語でお話を続けていました。そして弟子のフランス人のお坊さんがフランス語で通訳。それをカーペットの上に座り込んだ500人あまりの人達が、和やかにお説教に耳を傾けてるだけでした。

どこからともなく響いて来たその言葉『愛のエネルギー』というものについて、その後、私は長い旅に出ることになります。

まず、このセンターで出会うラマのお弟子さんたちに「愛のエネルギー、知っていますか?」と聞き回りました。その方たちは、皆、怪訝な顔をして首を横に振りました。

それから数年後、このラマの女弟子さんがパリに来たとき、勧めてくれた別な宗派の偉いラマの講演会に参加しました。その時、体の反応があったのは、この方ではなく、またもう一つの宗派の若いラマの講演のチラシでした。

この若いラマは、お父さんがシャンバラ宗派の長として、チベット仏教の中でも独特な伝授をされているとのことでした。そしてその方の話のテーマは、天女ダキニ・イェシェ・ツォギャルという昔チベット王のお妃で、後、天女になったといわれのあるチベット聖女についての話でした。

そこで初めて『女性性エネルギー』という言葉を聞くことが出来ました。この女性性エネルギーと私の探している『愛のエネルギー』とどこか共通性があるかと思い、この若いラマのグループに参加を決めたのでした。

つづく


写真:ヴァンセンヌ公園で
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by lamteramoto | 2010-09-13 02:35 | 過去の思い出