<   2010年 06月 ( 7 )   > この月の画像一覧

彷徨った末の日本文化

今日の午後、久しぶりにお茶のお稽古をしました。

和菓子は、おはぎのバリエーションを3つ作りました。
白砂糖を使わないので、その代わりに有機のジャムや黒砂糖、その他、甘くなりそうな自然な甘味料を使って試しています。
今回は瓶詰めの栗、友人の田舎の家で作ったかりんのジャム、黒ごまと黒砂糖、発芽させたアーモンドの粉、エトセトラ。
また、そのうち、食、レシピのコーナーで<太陽まんじゅうの作り方>などというレシピを発表するかもしれません。食いしん坊さんは、楽しみにしていて下さいね。
今のところ、味の方はまだまだ研究不足を感じています。

ところで、私がフランスで茶道と出会った物語をしてみたいと思います。

<日本><日本人><日本の伝統>など、日本が付くものはどうも好きになれない過去がありました。
日本アレルギー? 
日本逃避? 
いえ、<日本否定>といった感じだったと思います。

私が育った日本の社会や、時代の風の影響が濃かったこともあります。
それでも、サムライ映画や、講談調浪花節などは気に入っていました。

中学2年生の時(1962)に、試験体制が変わり、その時にひどく精神的ショックを受けました。それから、窓際族のような、落ちこぼれのような、気分でなんとか高校を卒業します。この世の中の仕組みを、思春期の少女の心がキャッチしてしまった、そんな感じでしょうか。

私を救ってくれたのは、ジプシー音楽とダンスでした。22才の時でした。時は1970年、外では学生運動の波が街中を覆っていました。学生たちが集合する新宿の駅前広場を通って、アルバイトから帰宅する毎日でした。
「止めてくれるなおっ母さん!」ののぼりを立て、拡声器を持って叫んでいる学生たちを横目で睨みながら、いつも素通りでした。すでに世界に挫折していたので、元気な学生たちと共感する気持さえ失っていました。

どこかのジャーナリストがマイクを向け、「社会に対して、あなたのご意見は?」と聞かれたら、「ノーコメントです!」と答えられれば上出来だったでしょう。ただ私は、彼らに、そしてあらゆる社会的な現象に背中を向け、暗い青春を何処に向かうともなく歩いている一人でした。
今では、私のような若者の方が普通でしょうか?

フランスに来て日本の伝統の好さが分かるようになった自分を、<成長した>と評価しています。

私たちの時代は、欧米の風が吹き捲くり、なんでも西洋風であれば人気を獲得していた時代でした。
そんな中でも、時代劇は常に人気を保持し、そのうち、歌舞伎もパワフルに活動し始めていました。

私の初めて体験した茶の湯は、1973年ごろの京都でした。
祇園のフラメンコ舞踊団にスカウトされ、日本の伝統文化のまっただ中で、異質なジプシー民族の一員となっていました。

つづく


今日の和菓子
d0176838_3252336.jpg

[PR]

by lamteramoto | 2010-06-29 02:06 | Art du Thé 日本の心

母の愛とセラピスト (4)

セラピスト、オーリアさんは、黄緑色の清々しい装いで現れました。

私の方を見て「Simのお母さんですか?」と、流石、占い師。
早めに行ったせいで、私がリストのトップ。
あとからぞくぞくとお客さんが来訪し、息子のアドバイスを素直に聞いたことに満足しました。

タロットカード・セッションで、意識して引いたカードの象徴的なものは、
私、スピリット、私の体、原因、解決

そして、カードの差し示すサインから、沸き上がって来ることを
彼女とシェアしながら、糸口を探って行きました。

最終的に(そう時間はかからなかった)原因は、25年前に失った双子の一人の死がまだ癒えていなかったのです。子供のことを聞かれた途端、私の目は潤み出してしまって、嘘をつけない私のハートが涙のサイン。
浄化が必要な感情は、まず罪悪感。そして悲しみでしょう。

オーリアさんが提案した解決法は
新しいノートを買って来て、それに毎日、亡くなった子供に向けて手紙を書く。もう全て書き終えたと思ったら、そのノートを封印してお墓に行く。敷地の一角の草むらにノートを置き、上から蜂蜜(オレンジの花の)を掛け、小さい生き物が食べられるようにして、子供の魂に告げる。「もう、ママは大丈夫。あなたは天に帰ってもいいですよ」と。

それで、あちら側に行った我が子へ当てて、今朝から手紙を書き始めました。


Misyoちゃんへ

ママですよ。
今、どうしていますか?
楽しくやってますか?

ママは去年の暮れから、地球を天国にする計画に参加しています。
Misyoはママを見ていましたか?

あなたからメッセージをもらったのはいつだったかしら?
あの時は本当にびっくりしました。

” ママ、ママ、ママは独りぼっちじゃないよ。
ボクの兄弟がママのすぐ近くにいるじゃない。
彼らをもっと楽しませてあげてよ”

そうあなたは伝えたかったのね。
ママのハートの中にポーンと投げ込まれた
あなたの言葉は、ママをハッとさせましたよ。

あれからママは一生懸命、頑張って、SimとTakと遊びました。
Misyoも見ていたでしょう?

ありがとう。
ママを助けてくれて。
本当にあの時はどうして良いか分からないほど不幸だった。
自分のことしか考えられなかったの。
パパとうまく暮らせなくなってしまったから。
まるで穴の中に落ち込んでしまって、
地上の世界に戻れなくなった人のようでした。
光を探しても遠くの遠くの方で、かすかにかすかに明かりが見えるような状態だった。どうしたら、あそこまで登って行けるのか、道も、階段も、手すりも何もなかった。

格好ばかりの座禅を始めた頃で、ZAFU(座布?瞑想で座る座布団)に座ってあなたを呼んだの。
”Misyo、Misyo
ママはこんなに不幸になってしまって、どうしたらいいの?
教えて、Misyoちゃん・・”

ママの心の叫びが終ったとたん、
あなたからの通信が飛び込んで来た。
本当にびっくりしたよ。
ママは初めて目が覚めたように、
廊下に飛び出して行って、あなたのまだ生きている兄弟を呼んだね。
大声で呼んだね、トランプしよう〜!って。
とっさに閃いたのは”トランプ”だった。
SimとTakは、子犬のように飛んで来たよね。

その夜から毎晩毎晩、トランプ遊びをしたね。
あなたの兄弟が楽しそうに笑ったね。

それから一ヶ月、Simがポロポロと心に秘めていたことをしゃべり始めて、
『ああ子供たちもこんなに不幸だったんだ』と初めて分かった。

ありがとう、Misyo
これから、毎日、あなたに手紙、書きますね。
この家に時々来て、ママのグリーンの手帳に書かれたママの字を読んでくれる?
あなたは賢いベベだったから、難しいことじゃあないよね。
じゃあ、また明日ね。

愛するMisyoちゃんへ

          ママより

これでこの項、終了です。
読んで頂いて、ありがとうございました。

写真:今朝の朝市で
d0176838_22511247.jpg

[PR]

by lamteramoto | 2010-06-27 22:49 | ヒーリングアート

母の愛とセラピスト (3)

精神分析や心理セラピーのセッションに通う人は、今フランスではどのくらいいるのでしょうか?
数年前のデーターでは、睡眠薬の使用量が世界でフランスがトップでした。

私自身も近所の医者に行き、最悪な薬を処方され、酷い目にあったことがあります。
それ以来、医者や病院はこりごり。なるべく避けて、ソフトな療法やヒーリングを探して来ました。

この冬も、私のボディはストライキを始めたように、動きが悪く、ついに体重の変化まで、、、
それがたたって体力が減り、息子たちが自立したお祝いも、自分だけ玄米のおかゆだったりしました。

私のそんな様子を見て、長男Simは口を切ったのでした。
「ママ、彼女が無料でセッションしているよ。行ってみる?」

体の言い分を聞きながら、自分で何とか治療しようと覚悟をしてからもう2、3ヶ月経っていました。
食事も全く変え、発芽玄米酵素ごはんにしました。
一時はほとんど何も消化できず、ピンチでしたが、そんな時でもこの発芽玄米酵素ごはんだけは、通過してくれました。

ガイアチームのみなさんから精神的なサポートがあり、また、エネルギーに敏感な方からは、私が霊体質であること、霊的な影響を受けやすいことなど、そしてそれをケアするためには、不動心を養うことといったアドバイスを受けました。火の浄化につづいて太陽の浄化、そして自分が宇宙の神聖な子であることを思い出し、内外の闇を光に転換するワークを実践しました。

そのお陰か、かなり元気になっていたのですが、猫をバカンス先まで列車に乗せて連れて行くパワーはないな〜と思っていました。

でも、せっかくのSimの提案を断ることも、どこか違う感じがして、とりあえず、彼の招待を受けることにしました。

「あなたはオーリアのセラピーで、どこが良かったと感じるの?」
「彼女はクライアントに、いつもきっぱりしていることを求めているんだ。
やるか、止めるか。これか、あれか。中途半端だったらうまくいかないって。
それに絶対これだ〜という自分のすごく好きなことを見つけることが条件」

「でも、あなたはどうしてあんなに好きだった映画から離れたの?」
「タロットカードで、映画はプロでやるのは終わったというサインが出たから」

『ああ、それで、子供のアニメーターに転向したんだ。良かった良かった!』
と心で合点した。当時は誰が「止めた方が良いよ」とアドバイスしても聞き入れなかった彼だった。
『う〜ん、なるほど、彼女もまんざらじゃあないな〜』とハートが開いて来た。
「ママ、それに彼女、時々無料でカードセッションやってくれるんだよ」

Simは早速、パソコンを開いて、情報をメモしてくれました。

チョコレート屋で、タロットカードセッションか‥‥


つづく

d0176838_330954.jpg

写真:散歩道で、いつも見かけるセーヌの水上カフェ 
[PR]

by lamteramoto | 2010-06-27 03:09 | 過去の思い出

母の愛とセラピスト (2)

その後、長男Simは徐々に生きる意欲を取り戻していきました。

母である私は、懸命に<大いなる母の愛>を実践することに、F、F、フォーカスしました。そうしなければセラピストの座だけでなく、母の座からも、さ、さ、去らなければならない状態でしたから。

『私は全てを受け入れます。Simの母は私一人だけ。その私は、我が子の全てを受け入れることができます。』

心の中でこう唱えながら、彼が家に来る時は(ほんの時々しか来ませんでしたが)、彼の好きな日本料理をたくさん作り、彼の長所を探し、誉め、激励し続けました。

先日、Simが来るとき、大きな荷物を両手に持って入って来ました。
それはミネラルウォーターのケースでした。

うちでは日本製の『水活性器具』を水道の元に取り付けてあるので、スーパーからミネラルウォーターを買うことはなくなりました。
でも、彼に「必要なかったよ〜」とは、言いませんでした。
「ありがとう、そんな重いもの、大変だったでしょう?」
とスマイルしながら言いました。

「まあ、ちょっとね。でも、いつも家に来る時、何も持って来ないから、今日は何か持って来たかったんだ」
彼の声には、明るさとやさしさがこもっていました。

私は内心『やった〜!』と思いました。
そうです、これが母の愛なんです。『まず、相手を受け入れること』
それをしてあげなかった。口うるさい母、心配性の母、愚痴っぽい母、それがSimから見えた私だったんです。


つづく
d0176838_1857798.jpg

写真:ベルシー公園で
[PR]

by lamteramoto | 2010-06-26 18:45 | ヒーリングアート

母の愛とセラピスト (1)

先日、長男Simが来て、お互いのこの夏のプログラムを話し合ったとき、彼の現在のセラピスト、オーリアさんの話を始めました。

実はすでにこの女性、私の心の中では、目の上のたんこぶ、つまり、私のライバルだったんです。

8年前から数年、日本で心理学を学んだ私は、フランスにそれを紹介しようと思っていました。
素晴らしいツールだと確信していました。
友人や、仏教センターで出会った人達に、かなりの回数、セッションを試しました。
毎回びっくりする結果が出るので、ついに友人の勧めで10人くらいを対象にワークショップを開くまでになりました。そこでも、期待以上の結果でした。

しかしその後、自分より優れたセラピストがいることが分かり、フランス語でも完全に負ける私は、ずるずるとヒーリングワークショップの場から降りて行きました。
そのうち、ついに、息子が彼女のワークショップに参加し、そして、彼女の個人セッションを高額をはたいて受けるようになりました。

自分の場を奪われてしまったかのような私の惨めな心は、それでもいつかは天からお声がかかって、自分の出番がくるのではないかとかすかな期待が心の隅から消えませんでした。
しかし、その期待がすっかり消えてしまった事件が起こります。

それは、なんとか心が通じるようなった息子と、何かのことで話をしていたとき、私の心をグサリと突き刺した彼の言葉でした。
彼はこう言いました。
「僕はママとへその緒を切らなくてはならない。
そうしなければ、自分は一人の人間として成長しないんだよ」
そして、彼の決意の背景には、このセラピストがいることは明確でした。

『でも、私たちは家族でしょう? 家族はそんなに簡単に決別できないのよ』と叫びたい気持ちでしたが、そこをぐっと堪えなければなりませんでした。言ったところで、彼は彼のセラピストを信じているんです。しかもこの信頼は彼にとって『命綱』と同じである。そのことは、私も心理学を学んで来た端くれとして理解していました。

『誰も信頼できなかった我が息子Sim。その彼が今、自分の人生のために決心をしたのだ。
そのことに文句を言う権利のある人は誰もいないのである。
自分はただ黙って、無条件の母の愛を胸一杯に広げ、彼の成長を見守らなければならない。
全てを受け入れなければならない。
それだけが私の出来ることであり、母としての私の役目である‥』

そう、自分に言い聞かせ、受話器をさびしく置いたのでした。


つづく

写真:近くの公園で数年前にとりました。
d0176838_1154987.jpg

[PR]

by lamteramoto | 2010-06-26 01:16 | ヒーリングアート

オーガニックチョコレート店でのハプニング

フランスは今日、あちこちデモが行われたようです。

フランス革命は人類の意識革命に大きな役目を与えて来たと言われています。
現在のフランス人は、世界に何をもたらしているでしょうか?

私はフランスで暮らすようになるとは、夢にも思わずに祖国、日本を後にしました。
スペインを経てフランスで結婚し、パリに定住することになったのは1978年の秋でした。

初めて住んだアパルトマンは、パリのど真ん中の1区。
それから14区に引っ越し、そこで長男が誕生しました。

「パリはフランスではない」と言う人がいます。なぜなら、フランスは自然豊かで農業が主体となっていますが、パリは外国人の到来が多く、芸術、ファッショ ン、哲学や文学、その他華やかな動きや催しが、世界で注目を集め、新しい意識への発信地的役割をして来た特殊な都であるからだそうです。

今日の午後は、デモのためにメトロに乗れない可能性があるにもかかわらず、息子に勧められたタロットカードの無料セッションを受けに、昔なじみの界隈14 区に出掛けて来ました。

そこで思いもよらない女性たちとの出会いが待っていました。
まるで天使がしたためたシナリオのように魅力的で、ホットなハプニングでした。

タロットカード無料セッションは、アルジェリア出身の女性が占い師です。
場所はRue Daguerreのオーガニックのチョコレート店”Chocolatitudes”(ショコラチチュッド)。

そこの女主人と、出会いから日本の話が始まって、彼女の夢、チョコレートと緑茶のコンビネーションを開発する計画を聞かされました。
私も現在、密かに健康的な和菓子の開発をしていることを伝えると、彼女は目を丸くして、、

「京都にひょんなこと で旅することがあってね、しかも桜の季節だったのよ」
「もうそれは美しかった」と目を潤ませる。

すると、反対側に座っていたお客らしい女性が「私も日本のある地方に1年住んでいた」というではありませんか。
そしてついに、私の茶道教室にみなで押しかけて来ることになってしまった。

あ〜良かった、茶室の準備はほぼ完了しているから。
彼女たちがいつ来ても大丈夫。

わ〜、これから忙しくなるぞ〜〜っていうか、楽しくなるのですよ、素敵な女性たちと一緒に、日本の美や、味をテーマにハートコミュニケーションできるなんて、こんなチャンスが、すでに私の腕の中に飛び込んできましたよ、今日の午後。

タロットの話は、明日、ヒーリングのコーナーで続けます。
d0176838_649252.jpg


写真は、今日のダゲール通り。
このカフェに何度座ったことか。
[PR]

by lamteramoto | 2010-06-25 06:26 | パリの日常

パリからはじめまして

日本のみなさま、はじめまして。
パリに暮しているソレーユらむと申します。
巣立った2人の息子の母親であり、
アーティストであり、ヒーリングセラピストでもあります。
趣味は茶道です。

らむは、アーティスト名てらもと・らむから来ています。
マンガ『うる星やつら』の宇宙人ラムちゃんを思い出す方、いらっしゃいます? 私も大好きでした。
でも、もっともっと好きだった主人公を紹介させて下さい。
宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラ。そしてサンテグジュペリの『星の王子さま』です。
80年代、辛かった外国生活で慰めてくれたのは、この3人でした。

私は1976年、6月に初めて日本を脱出。パリ経由でスペイン、マドリッドに入りました。
当時、私はフラメンコダンサーとして、本場のスペイン入りを果たすために一人、飛行機に乗ったり、国際夜行列車に乗ったりして、極東の日本から西の果ての異国にやって来たのでした。

実は私の人生、フラメンコで救われたんですよ。
その物語も、次回、ゆっくり致します。

ジョバンニとカンパネルラに戻りますと、
ジョバンニの悲しみと希望は、当時まるで自分のものとそっくりでした。
銀河鉄道の汽車の中で、カンパネルラに「皆の幸せを探して、どこまでもどこまでも一緒に行こうね」と言ったジョバンニの言葉を、心の中で毎日毎晩つぶやきながら孤独を乗り越えようと必死でした。

どんなものが「皆の幸せ」なのか全く分からなかったけど、その言葉はどこまでもどこまでもこころ奥深く、魂までもやさしく慰めてくれるような気持ちになれたのです。

『星の王子さま』のオリジナル版でフランス語を憶えました。丸暗記したんです。
無邪気な、そして真っすぐな、王子さまの喋り方や笑い方が好きで、何度も何度もビニールのレコードから真似しました。

でも、実際、フランス語が自然に口から飛び出してくるのには、それからまだ10年以上も必要でした。

その間、ずっと王子さまは私の心を慰めてくれていたので、今でも心に降りて行くと、彼に再会できるんです。
先週、やっと息子が引っ越しの荷物を持って行ってくれたので、母親である私は、肩からも心からも荷物を降ろすことができました。

ついに待ちに待った時がやってきました。
私はやっと『自由』を手に入れたんです。
何年ぶりかで、王子さまと共に部屋づくりに夢中になりました。

壁にこんなジャケットを飾りました。

ランプにはヒナゲシを添えました。

スタンドには、慈悲の深紅のベールを。
猫のシズカも、明るい新しい部屋が好きになったようです。

これからこの部屋で、王子さまと一緒に『皆の幸せを探すハートネット・ブログ』を綴って行きたいと思っています。
そして日本との間に心の橋を架けられれば、と願っています。

どうぞ、よろしくお願いします。
d0176838_6432049.jpg

[PR]

by lamteramoto | 2010-06-24 06:39 | Jardin Michiko 私の庭