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神の証明 1

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いつか言われるだろうと思っていました。
「恐怖を煽っていないか?」と先日、コメント欄でご質問しただきましたが、その後には、「NOであるなら、どのようにそれを証明できるか?」と質問される筈です。私ならそう聞きたくなります。そしてそれと同時に「あなた自身どこまで<高次元><神><天使>とやらを信じられているのか?」と。


迷っている時は、よく心のガイドに尋ねます。
「<高次元>である証拠を見せてください」
「本当にイエスである証拠を見せてください」
「マリアである証拠を」「アマテラスである証拠を」「神である証拠を」


何度も尋ねてみました。自分では何も聞こえない(一度とてもいい香りを体験)ので、外の世界にサインとして現し教えてもらうのが常でした。答えの物質化です。現象です。それから聞き取る方法で今まで分からせていただいて来ました。


「気のせい」だと疑う傾向が強い私は、「動かぬ証拠」で示してくださいと、お願いすることが常でした。いろいろなことがありました。スイスの友人の家で金の指輪を紛失したあと、ひょっこり棚のど真ん中に戻っていたことがあって、彼女が驚嘆して電話をして来たことがありました。彼女自身、必至でそこら中、ゴミ箱から床の絨毯までひっくり返して探してくれたばかりだったので、彼女の反応はさもありなんでした。



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以前、スピのグループに参加している時に、メッセージの信憑性を何度も尋ねました。「このメッセージは本当に本当ですか?」と。こちらではその詳細を省略しますが、、というのはそれをいくつ並べても、それが第3者への絶対的な証拠になるとは限りません。疑う人は何を言われてもとことん相手の話を信じることはありません。ですのでこの物証と非物証の間にある根本的問題を見てみようと思います。


「疑う」ことが「いい」という哲学と、「信じる者は救われる」従順な傾向を「よし」とする宗教の二つに分かれると思います。これが哲学と宗教の違いかもしれませんね。しかし最近の波動科学から問い直すとどうなるでしょう? 私たちのモチベーション(対象に対する思い)のエネルギー(電子、分子)は、見ている自分の目が透明ではないという状況を発見します。たとえば好きで作る人の料理の味と、嫌いな人の味の違いのような目に見えない差が、普段の場でよく起っているということです。「<観る者>はすでに、外の<対象>に対して透明な嘘発見機ではない」のですね。だから「人に依って見方が違う」のは当然なことになります。


では、本当に<神>はいるのか? 私たちの想念の世界の外に<神>や<天使>はいるのか? という聞き慣れた問いをしてみましょう。上の波動説(あるいは量子論)でいくと答えは「いると思う人にはいる、いないと思う人にはいない」という風になる傾向が多くあります。以前フランスのテレビの文化番組で、神の存在を信じないお坊さん(仏人で有名なダライラマの通訳)と、東洋出身で神の存在を信じている科学者の対談を見たことがありました。不幸に当時はフランス語があまりよく聞き取れなかったので、対談の内容は言えませんが、宗教人の神否定と科学者による神肯定の対立が、とても面白いと思ったものでした。そしてその後何故かチベット仏教に入って創造主の存在を信じないお説教に、足を運んだものでした。



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神を少し脇において、神を<世界>に代えて考えてみましょう。
あなたの外に<世界>がありますか? あなたが思っている世界は、あなただけがそう思っているだけではありませんか?
ここで<想念>の世界と<実相>の世界の境目がテーマになります。
先ほどの消えた金の指輪のことで考えてみますと、今も私の指にあるこの指輪はあの時「なぜ消えたのでしょう?」という疑問がわきます。そして私の未確認レベルではありますが、この現象が私に見せてくれたものは「異次元がある」という答えにたどり着きました。確定ではないので、<可能性>としてメモしました。<異次元>の可能性は、2000年から10年あまりの間、何度突きつけられたでしょう。そして今、「異次元は見えないから無いもの」として考えることは出来なくなってしまいました。


長くなったので「その<神>は、本当に高次元の神ですか?」という問を次回にしてみたいと思います。
読んでいただいて、ありがとうございました。
次回をお楽しみに。


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by lamteramoto | 2011-09-21 05:20 | Sagesse 叡智への道